大学って何だろう?

この間の大学入試漏洩およびカンニング事件では、当初組織的犯行説も流れたようだが、結局は一受験生による単独犯であることがほぼ明らかになり、事件は収束の方向へ向かいつつある。この事件が日本中を大騒ぎの渦に巻き込んだのは、マスコミの報道によるものに他ならないが、奇しくも、それによって、大学や入試制度について考えるきっかけを与えてくれた。ここでは、身近な人たちとのツイッターなどでのやりとりのなかで上がってきた、大学に関係する「問い」について考えてみたい。

問いをまとめると、こんなところだろうか。
  • 大学とは何だろう?
  • 学生はお客様か?それとも商品か?それとも...?
  • 入試制度はどうあるべきか?

今回は、「大学とは何か」について、自分の考えをまとめてみようとおもう。

まず確かなのは、大学とは組織である。教授、学生、事務職員が集まって、有機的な活動を行っている。これはまさしく組織である。

組織には共通の目的がある。大学の目的は何だろうか?

なかなか難しい質問だが、それは、「人材育成を通して社会の発展に貢献すること」ではないだろうか。これは、ほとんどの大学が「使命」として掲げていることである。それに、教育機関なのだから、人を育てることが目的にならないはずがない。
もちろん、研究成果による貢献も重要な要素となるが、それも人材育成とベクトルがあっていなければならない。人材育成がなければ、それは商業目的の研究機関となんら変わらなくなってしまうからだ。大学の目的は「人材育成」を核としなければならない。

人材育成といっても幅広いが、大学は、少なくとも次の要件を満たす組織であるべきだと思う。
  • リーダーシップを養成する。
  • 高度な専門的技能を養成する。

なぜリーダーシップか?労働力となるには高校までの教育で十分すぎるほどだからだ。さらに4年間以上の鍛錬を続けるからには、リーダーとなって社会の発展を引っ張って行けるような人間を育てなくてはならない。一流大学では、それこそ国家を率いるほどの、一流人材の養成を目指すべきだろう。小中学校で教えるようなことを大学で教えるのは馬鹿げている。大学はまず、リーダーシップ養成機関でなくてはならない。

リーダーシップとともに重要なのが、専門的かつ高度な技能の養成である。リーダーとして社会の発展を引っ張って行くためには、数々の難問と戦って行くための高度な技能が必要だ。

つまり、大学は(理想的には)、「リーダーシップを発揮して社会の発展に貢献していくだけの専門的技能を持った人材を育成する機関」と言うことができる。

この崇高な目的を、現実社会の中で実践しているのが大学だ。高い理想を掲げるだけでは「絵に描いた餅」に過ぎない。現実を真摯に受け止め、理想とのギャップを少しずつ埋めていくことが必要となる。

ここでキーとなる要素は次のようなものだろう。
  • 活動資金
  • 人的ネットワーク
  • 競争原理

まだ何かあるかもしれない。そろそろ品川に付きそうなので、今回はここまで。

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