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つくばマラソン~3年ぶりのサブ3達成

昨日11月28日の日曜日、第30回つくばマラソンを走ってきた。つくばマラソンは、7年前、僕が人生で最初に走ったマラソン大会であり、ランニングを始めるきっかけとなった、記念すべき場所だ。だから、特別な思い入れがある。 コンディションは最高だった。天気は快晴、ほとんど無風、気温だけは、スタート時10度くらいだったのが、ゴール時には20度を超えるまで上昇したが、暑さは感じなかった。 結果は、グロスタイム(号砲からゴールまで)が 2時間54分15秒、ネットタイム(スタートラインからゴールまで)が 2時間53分31秒と、3年ぶりのサブ3達成となった。たぶん、自己ベストを(グロスでも)若干更新した。 スプリットタイムは、次の通り。 5km 20'10" 10km 20'14" 15km 20'31" 20km 20'05" 25km 20'20" 30km 20'23" 35km 21'25" 40km 20'20" Goal 10'02" ほぼイーブンペースを刻めているのだが、40kmくらいからかなりペースダウンしてしまった。 ここ最近ではものすごくいいタイムだし、力も出し切ったのだが、なんとなく悔いの残るレースだった。ということで、反省点をまとめておこうと思う。 レース前に水分を取りすぎた。後半小便したくてたまらなかった。これだけでも、ストレスになっていたに違いない。レース中は十分な給水があるのだから、レース前の水分補給はほどほどにすべきだった。 前半飛ばしすぎた。練習不足もあるのだろうが、残り5kmはとてもつらかった。 良かった点も書いておく。 早めに荷物を預け、早めにスタートへ並んだ。 ビニール袋の簡易ウインドブレーカーを着てスタートに並んだ。 混雑を避け、ジョグをかねて離れた大学構内のトイレを使った。 ウォームアップは、いつもより軽めのジョグ程度にとどめた。 ビニール袋は、走っている最中に捨てられるし、ほとんど重さが無いので、とても良い。次は袖もつけたいと思っている。やはりフルマラソンのウォームアップは走りすぎないことが大切みたいだ。 振り返ってみると...

マラソン前最後の長距離トレーニング

今夜は鴨川コースで、マラソン前最後の長距離走、25kmペース走(4'15"/km)を実施した。最初飛ばしすぎ、最後の5kmはややつらくなったが、設定ペースは維持できた。飛ばしている意識は無いのだが、勝手にペースが上がってしまった。マラソンでやってしまったら、後半大幅なペースダウンだったろう。 とりあえずタイムを記録しておく。 5km 20'11" (20'11") 10km 40'16" (20'05") 15km 60'05" (19'48") 20km 79'51" (19'46") 25km 99'49" (19'57") 前回、早朝挑戦してダウンしたのに比べると、最後まできっちり走れたのが良かった。 明日は、15kmほどジョグの後、途中5kmをマラソンペースで行ってみようと思う。その後は、マラソン当日まで調整。歳のせいか、最近疲れが抜けるのが遅くなってきた。しっかり休息しなければ。 ところで、気になるのはスタート順。つくばマラソンはスタート地点のコースが狭いので、スタート直後はかなりの渋滞になる。予想タイムは3時間10分くらいで出したはずだから、けっこう渋滞に巻き込まれそうなのが気がかり。

捕鯨やイルカ漁に反対する考えについて思うこと

世界には、クジラやイルカ(生物学上の区別は曖昧らしい)の捕獲や食肉化に対して、強く反対する人たちがいる。日本の調査捕鯨船に対する、シーシェパードの強硬な妨害活動は記憶に新しいし、映画「ザ・コーブ」の製作・公開もあった。日本人の感情としては、これらの反捕鯨派には反感をもつのが普通なのだが、ちょっと冷静になって、反捕鯨派の論理を考えてみたい。 なぜクジラやイルカを捕獲して食べてはいけないのか。多くの反捕鯨派の論理は次のようなものだと、私は考える。 「クジラやイルカは、人間と同じように、理性的な生き物である。だから、クジラやイルカを食べるという行為は、人間を食べるのと同じように、罪深いことなのだ。」 「そんな馬鹿な、クジラが人間と同じなら、牛や豚だって人間と同じだ。」と反論してしまいがちだが、それでは信条の問題に帰してしまうから、そこで議論は紛糾してしまう。 そうではなく、ここで検証すべきは、「クジラやイルカが理性的な生き物であるかどうか」である。普通の人は、「人間を殺して食べることはいかなることがあっても許されない。そんな恐ろしいこと想像したくもない。」と考えるだろう。「食人は罪である」という点においては、多くの人が合意するに違いない(食人については、 サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』 に興味深いい裁判例が紹介されている)。したがって、クジラやイルカを食べることが、人間を食べることに相当するのかどうか、ということを検証しなくてはならない。 では、クジラやイルカが理性的な存在であることをどう検証したらいいだろうか。つまり、理性を持っていることをどう検証したらいいのだろうか。そもそも理性とは何か。カント哲学的には、「自然法則や本能から独立した行動規範」というところだろうか。。。 正直、ここまでくると、深い領域に入っていってしまうので、今回はここらへんで一時停止することにする。 ここに書いたことは、そもそも出発点が仮説に過ぎないので、すべてがひっくり返ってしまうかもしれない。実際には、個別の言い分に耳を傾けなくてはならない。 重要なのは、そのときに感情論に走ってしまわずに、一つ一つの根拠の検証を積み重ねる議論を進めることだ。もちろん議論しても合意に結びつくとは限らない。しかし、そうした議論こそ、互いの考えの理解につながり、新しい...