目黒不動のお話

先日、改めて目黒不動尊の境内を歩いてみました。その近所に住んでいながら最近まで知らなかったのですが、ここは今から1200年以上も前、遣唐使の時代に開かれたお寺だそうです。ウェブサイト「目黒不動のまち」によれば、慈覚大師円仁が不動明王を安置したのが始まりとのことです。

正直なところ、それまで円仁という名も、慈覚大師という名も知りませんでした。あの最澄の弟子の一人だそうです。

ともかく、寺の名前は「瀧泉寺」。滝があったのですね。今でも、水かけ不動尊のある池の奥には、滝行小屋があるので、滝が流れているのかもしれません。

ところで、境内を歩いていると、小さな神社がたくさんあるのに気がつきます。伏見稲荷や豊川稲荷もありますし、本堂の裏の大日如来像の裏には、地主神を祀った祠もあります。これは、目黒不動に限らず、どこの寺でも目にする光景です。

なぜ神社と寺が同居しているかといえば、一緒に境内を散策した「人生の大先輩」によると、「もともと神社があったところに、後からやってきた仏教が立派な寺を建ててしまった」ということのようです。

そこから神道の話になり、「神道の中心は出雲国」という話を聞きました。もちろん、そんな話は知りませんでした。自分が無知であることを知りばかり。

その数日後、ハーブの本を読んでいると、「神道の中心が出雲国」という話が出てきて、驚きました。月別のハーブを紹介する形式のこの本には、『10月は「神無月」で、これは「神様がいなくなる月」という意味』だと説明がありました。そして、神様がいなくなる理由が「年一回の重要な会議に参加するため留守にするから」で、その会議が開かれる場所が「出雲」というわけなのだそうです。

さて、瀧泉寺の墓地には、甘藷先生として知られている、青木昆陽の墓があります。どうやら、歴史の教科書に登場したらしいのですが、私は全く記憶にありませんでした。江戸時代、徳川吉宗の命により、関東でサツマイモの栽培を始め、大飢饉から人々を救ったと言われているのですね。

この近くに別邸を持っていたから、ここにお墓があるということです。

これで、毎年10月になるとサツマイモ祭りのようなものが開かれる理由がわかりました。

次回は、「たけのこ栽培の碑」について書こうかと思います。


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