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11月, 2013の投稿を表示しています

ホンダの面白い取り組み

ホンダが、"dots by internavi"という名称で、面白い取り組みを行ってます。 リンク: http://www.honda.co.jp/internavi-dots/ 1. RoadMovies 映像撮影・作成のiPhone(Android)無料アプリ。とあるウェブ記事から知ったのですが、もともと自動車の運転をより楽しんでもらう事を目的として作られたアプリのようです。ドライブ中の映像を数秒の細切れで撮影し、それをつなげた映像にBGMをつけ、短い(24秒)の作品に仕上げることができます。単純な操作で作成できるのにも関わらず、プロが作ったような仕上がりになります。出来上がった作品はワンタッチでYouTubeで公開することも可能。 2. アイルトンセナ1989 アイルトンセナが1989年の日本GP予選でたたき出した最速ラップを音と映像で再現するというプロジェクトです。ホンダが初めてF1に導入したテレメトリー(走行中の車両センシング情報を全て記録する技術)によって収集されたデータから、セナの操るマクラーレン・ホンダのエンジン音を合成・再現したものです。サイトから映像や再現音を聞くことができます。もっとすごいのは、鈴鹿サーキットのコース上にスピーカーを何十台と並べ、コース上を走行するセナを音で再現してしまったことです。その映像も公開されています。「そこまでやるか」という感じで、とにかく圧巻です。 3. Sound of Honda これもアプリ。これを起動して、歩いたり走ったりすると、あたかも車で走っているようにエンジン音を出すだけのアプリです。加速するとエンジン音が高くなり、ちゃんとギアチェンジもします。車種も往年のホンダ車数種類のなかから選ぶことができます。マクラーレン・ホンダ MP4/5もあります。 自動車をもっと楽しむためのホンダの取り組み、なかなか良いと思います。ただ、ホンダにはもっと本業で頑張ってもらいたいという思いはあります。もっと個性的なクルマを作ってもらいたいなと、かつてのホンダユーザーは思います。そんな中、ホンダがF1への復帰を決めたのは大歓迎ですね。

映画レンタル

"Closer to the edge", 「華麗なるギャッツビー」、「リンカーン」の映画をレンタルした。週末、フランス行きの飛行機の中で見ようと思う。007シリーズやスターウォーズも見たいと思っている。前回、レンタルした後、結局忙しくて見ないうちにレンタル期間が過ぎてしまった苦い経験があるので、今度はそんなことないようにしたい。

技術立国ニッポンの復活に必要なのは。。

技術力のニッポンとかつては言われたものだが、日本の電機メーカーの技術力は確実に低下していると感じる。原因は技術の伝承がおざなりにされてきたことと、「悪いゆとり感」が蔓延してきたことにあるのではないか。 仕事柄、様々な規模のメーカーの技術者と話をする機会が多いが、大企業とよばれる所ほど、かつての「技術立国ニッポン」を支えたスーパー技術者がいる一方で、多くの技術者はなかなか十分なレベルに育っていないと感じる。特にデジタル回路のアナログ的特性を理解するデジタル技術者が足りていないと感じる。 組織が大きくなり、担当領域が細分化され、守備範囲が狭くなることで、少し領域を外れた問題に打ち当たると対処できなくなる傾向が現れているのではないか。また、スーパー技術者も、昨今の「ゆとり教育世代」には厳しいスパルタ指導は出来ないのだろう。 このままでは、日本の電機業界の復活は「夢のまた夢」と思わずにはいられない。 しかし、その一方では、中小企業には優秀な技術者が多い。フットワークも軽く、いろんな問題を自分でどんどん解決してしまうことが多い。こういう中小企業こそ、「技術立国ニッポン」の復活を支えて行くことになるのではないか。そのためにも、死にかけた大企業を国が救済するようなことは、一番やってはいけないことだ。

機関車トーマスで仕事を学ぶ

テレビ番組の機関車トーマスは、「仕事とはなんたるか」が学べる、なかなか良い内容だと思う。 先日も、D51のヒロが、質の悪い石炭をもらってしまい、すすだらけでボイラーの調子がおかしくなったにも関わらず、「無理をしても走り続けなければならないときもあるんだ。」と、踏ん張って良い仕事をする、というストーリーがあった。たとえ条件が悪くても、ここぞというときには踏ん張り続けなければならないのが仕事というものである。 いろいろな機関車たちが、それぞれの特徴と強みを生かして仕事をする、というのも良い。トーマスは小型の客車を引き、ゴードンは急行列車の大型客車を引く。パーシーは郵便貨車を引く。いろんな機関車が力をあわせて、一人ではできない仕事を協力して仕上げて行くというのも良い。 そして、何より良いのは、トップハムハット卿というボスに対して、誰もが「いい仕事をしたい」「役に立つ機関車になりたい」と思っていることだ。会社という組織では、結局上司が期待する以上の成果をあげることが一番重要になる。そして、上司の役割は、部下が成果を出せるような課題を与え、成果を出せる環境と成長の機会を用意することである。ハット卿と機関車たちの間にはそのような良い環境がある。 こういうストーリーの話はあまり無いような気がする。なかなか貴重な存在だと思う。

ランニング大会へエントリー

ランニングの意欲を再燃させるために、ランニング大会へ申込んだ。 12月31日、中野駅30km(よくわからないが、ランステ巡りの少人数ランニングイベントらしい)走り納めも兼ねて参加。 1月19日、全国スイーツマラソンin東京・お台場(42.195kmシャッフル・リレー:当日結成される即席チームでの駅伝)これも初参加。こういうゆるい感じのレース(?)も初体験となるので、なかなか楽しく走れそう。でも走るのは一人10kmくらいなので、レース後はお台場から家まで走って帰れば良いかな。 2月9日、赤羽ハーフマラソン。荒川河川敷を走る規模の大きい大会。公認コースだけど、今は陸連登録もしていないので、関係なし。目標タイムは1:30。このレースをランナー復帰への足がかりとしたい。 来年は山岳orトレイルラン・レースを中心に走り、夏の北海道マラソン、1年後のつくばマラソンも参加したい。

アジアの隼を読んで

アジアの隼も、案件獲得のために様々な交渉や駆け引き、そして、賄賂など、あらゆる手をつくすビジネスの戦いの様子が描かれていて楽しめた。さらに、舞台が1998年前後のベトナムを中心としている点も懐かしい感じだ。その直後、私もベトナムやタイを一人で旅行した。ベトナム語も少し覚えたものだ。この小説によれば、あの頃はちょうどバブルが崩壊して外資が去ったあと、再び外資が戻り始めた時期だったようだ。その後、ビーチリゾートも大きく成長したと聞いている。 焼け野原になったとしても、またそこから立ち直ればいいということだ。

自己満足ビジネス文書はゴミ

フィッシュボーンアナリシスを報告書に掲載する業界があるらしいが、そのような無駄は今すぐ辞めるべきだ。なぜなら、魚の骨格の図を提示したところで、「私はこれだけ苦労しました」と言っているだけで、読み手からすれば本来ならば"So What?"「だからどうした?」なのである。そんな自己満足文書は、読み手にとっても書き手にとっても時間の無駄を生み出すだけであり、経済価値のないゴミ以外のなにものでも無い。そんなゴミはビジネス活動からは排除されねばならない。 フィッシュボーンアナリシス、なぜなぜ分析、SWOT、分析ツールは山のほどあるが、分析ツールはあくまで分析のときに使用するものであって、ツールの分析結果の図をそのまま報告書に掲載するのはやってはいけないと考える。最終報告書は基本的にすべて文章で表記されるべきである。逆に、文章で表記できない事は分析が不十分であることを示している。図表とは、すべてが文章で表記された物事のエビデンス、または、その理解を助ける補足資料として使用されるべきである。 報告書や論文は、読み手がまっすぐ読んでまっすぐ理解できるように、理路整然と書かれてあるべきである。たとえ、書き手が様々な分析を駆使して長年の思考錯誤を繰り返して紆余曲折の結果見いだした結果の報告であっても、その苦労を読み手に味わさせてはならない。読者が「なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう」と思わせるようなものでなければならない。したがって、と突っ込まれるだけなのだ。 業界ではそれぞれ色々なしきたりや習慣などがあるだろうが、文書の作成の本質については、すべて同じである。伝えるべきメッセージが一つあり、それを頂点として、ピラミッド状の論理構成があり、一番下の基礎の部分には、誰もが間違いなく事実と認めるエビデンスが支えている構造があるべきである。 様々な分析結果をエビデンスとして掲載するときには、それは、表あるいはグラフの形に成形して掲載すべきだ。フィッシュボーンアナリシスで分析したから、それを魚の骨の絵で表記する事は書き手にとっても、読み手にとっても無駄が多い。料理と同じで、読み手に見せるものは、必要最低限のものを出来る限り整理された形で提供すべきである。数値データであれば、極力視覚化することが効果的である。数値化出来ない場合は、表の形が読み取りやすい。

つくばマラソン観戦

久しぶりにつくばマラソンの会場へ足を運んでみた。天気は快晴。寒いと思って着込んで行ったものの、その必要はないくらい日差しが暖かかった。いつものように、紅葉が綺麗だった。 今回はランナーとしてではなく、応援する側だった。弟が走るというので、子供と一緒に来てみたのだ。ゴール1キロ手前の直線が見渡せるポイントに陣取り、おにぎりをかじりながらランナーが来るのをまった。 先頭ランナーは後続をかなり引き離しての独走だった。その後も10いくらいまで単独走、次第に集団になってきて、続々とランナーが通り過ぎて行った。肝心の弟も最後かなりのペースダウンをしながらも、なんとか3時間切りでゴールした。 応援する側になってみて、やっぱり走る側がいいなと思った。 しかし、残念だったのは、子供が楽しんでいなかったこと。行きたいと言っていたのも本心ではなかったらしい。まだ自分の気持ちをうまく外に出せないところがあるので仕方ないが、根気づよく改善させとかないと後で苦労することになる。

意地悪な提案

公園からの帰り道、抱っこをせがむ息子に、「家まで歩いて帰ったら、抱っこしてあげる。」と提案したら、あっさり受け入れられた。そして、結局、家まで歩きで帰り、家に着いた頃には抱っこのことは忘れてしまっていた。 まだまだ損得勘定はできないみたいだ。少しずつ交渉術も身につけさせて行く必要がありそうだ。

性格判断?

性格判断のようななんとかグラムというのが会社でブームになっているみたいなのでやってみました。 結果は「計算高い欧米人、頭キレキレ冷血人間」だと。違う気がしますが、自分が目指している形に近い気がします。 調べたら、ディグラムというものだそうです。

「アジアの隼(上)」まとめ

黒木亮の「アジアの隼(上)」を読んで、分からなかった単語や、印象に残ったくだりなどをまとめ。 毀誉褒貶(きよほうへん) = (大辞林)悪口をいうこととほめること。世間の評判。「-相半ばする」「-定まらず」 「ペレグリンは毀誉褒貶に包まれながら、急成長するアジアの熱い風の中を飛び続けていた。」 「そうだった。彼は違うのだ。仕事に不平をたれたり、適当に手抜きをしても会社にさえ来ていれば給料がもらえると信じて疑わない日本の甘ったれた終身雇用のサラリーマンではないのだ。彼はなぜ会社が自分に給料を払ってくれるのかを常に意識している。」 "We take issuers you don't even know about and turn them into something you want to buy". 面従腹背(めんじゅうふくはい) 「乱世に必要なのは組織でなく、一人の英雄だ。」

広島出張

本日は東広島へ出張。お昼は地元のお好み焼き屋さんでとった。しかし安い。そば二玉の「ダブル」で700円。焼いてる時はあまりのぶ厚さに完食できるか心配になったか、意外と難なく食べきれた。 具材はいたってシンプルで、やきそば、天かす、キャベツ、たまご、豚肉。ソースはとうぜんオタフクソース。元祖お好み焼きの美味しさだった。 同僚が、「お好み焼き屋はどう差別化するのだろう?」と言っていたが、チェーン店などはともかく、競争のない地元で細々とやっているお店では差別化することもないのだろう。強いて言えば、昔からのシンプルなメニューに絞って、価格を抑えることが大規模チェーン店に対する差別化なのかもしれない。

久しぶりのジョグ

今夜は久しぶりに近所の公園でジョグをしてきた。一周1.4kほどのコースを4周+懸垂を10回。澄んだ空に月が輝いていた。 走りながら聞いたのはコンドリーサ・ライスの自伝"No Higher Honor"のオーディオブック。国務長官などを歴任しただけあって、とても濃い内容となっている。国家間の駆け引きやテロなど修羅場の連続である。高度な知性と、タフな精神力と体力がないと到底勤まらない。 自分の仕事はそんな世界とはほぼ無縁だけれども、常に緊張感を保ち、五感を研ぎ澄ませて臨む姿勢は同様に大切だと考えている。常に真剣勝負である。「なあなあ」は許してはならない。

医療費タダは良くない

品川区では、子供の医療費はタダである。医者に診てもらっても、薬を処方してもらっても、薬局で薬を受け取っても、文字通り一銭も払わなくて良い。同じように医療費タダの自治体は品川区以外にも多い。子供をもっている親にはありがたい話ではあるのだが、これは今すぐやめたほうが良いと思う。 まず第一に、自治体の財政負担が増加する。医療費タダにできるのは、自治体が肩代わりしているだけである。つまりは、納税者が負担していることなる。患者側に負担意識がないと、ちょっとしたことでもお医者さんに診てもらおうとするので、自治体の医療費負担が増加してしまう。 第二に、医薬業界が焼け太りする。患者側に金銭負担の意識が無いから、医薬業界はなるべく多く医療費を稼ごうとする。そのため、必要以上に多くの薬を処方したり、医療器具をレンタルしようとする。私の子供も、最近たいしたことなさそうなのに、ネブライザーを貸し出してもらった(当然タダ)ものの、結局二回使ったきり使うのをやめてしまった経験がある。 第三に、必要以上に病院が混雑する。負担が無ければ、ちょっと調子が悪いだけでも診てもらおうとなるので、病院が大繁盛となる。そして、本当に診察が必要な子供が待たされる状況が発生する。 では、どうすればいいか。私は、年間の総額で考えて、一定額(一人10万円くらいだろうか)までは医療費は全額自己負担とすればよいと思う。そうすれば、特殊な高額の医療費については自治体が負担されるので、医療費が払えなくて治療が受けられないという事態は避けられる一方で、小額の医療費は負担している意識がはたらくので、必要以上に病院に行かなくなる。 同じ事は、高齢者の医療費負担にも言えると思う。

妖怪しりとり

「お母さんといっしょ」で、妖怪しりとりという歌を歌っているのだが、このときの、息子たちの反応が面白い。4歳の長男は一緒に妖怪の名前をくちずさんでいるが、2歳の次男は「こわい」と言って、戸の影に隠れながら、恐る恐るのぞき見している。 個人的には、この歌の映像が結構好きだ。でんぐり返しする座敷童がとくに良い。

マラソン中継の解説はテレビ局の思惑が絡む?

今日の(もう昨日だが)横浜国際女子マラソンをテレビで観ていて、あまりにも的外れな解説ばかりなのは何故だろうと疑問を持った。そこでできあがったのが次の仮説である。 最後までマラソン中継を観てもらいたいという、テレビ局の思惑が解説者の話す内容に影響を与えている。 今日のレースは、30Kあたりで、それまでトップを走っていた日本人選手が外国人選手に抜き去られ、どんどん差を広げられて最終的にゴールタイムで3分近い差をつけられてしまうという展開だった。 このトップが入れ替わったとき、明らかにスピード差があった。そのとき解説者が発したのは、「まだまだ良い走りをしているから優勝を狙えます」というような内容のものだった。しかし、二位に下がった日本人選手はまったく食い下がれない。一方のトップ選手はまだまだ走りに余裕があった。ある程度マラソンを知っている人なら、この時点で「勝負あった」と思ったはずである。にも関わらず、この解説である。 それでも解説に根拠があれば納得できるのだろうが、それもない。その後、画面に1kmごとのスプリットタイムが表示された。すると、一位と二位の選手の間で、10秒あまりの差が続いていた。1kmで10秒差がつくということは、1km走るごとに約50mの差がつくことになる。終盤でこのスピード差はかなり絶望的なはずである。 というわけで、なぜこのような的外れな解説しているんだろう、と違和感を感じてしまったのである。 解説者がおかしな人だとは思えないので、何かありのままを話す事ができない事情があるのか。。。と考えていったところ、冒頭の仮説にいきついたわけである。あくまで仮説なので、検証されなければならないが。 この仮説を検証するには、裏事情に通じる人へのインタビューが直接的だろうけれども、そんな事をやっている暇もツテもないので、とりあえずは、民放とNHKで解説者の発言内容に違いがみられるかどうか、ちょっと気にしてみようかなと思う。