自己満足ビジネス文書はゴミ

フィッシュボーンアナリシスを報告書に掲載する業界があるらしいが、そのような無駄は今すぐ辞めるべきだ。なぜなら、魚の骨格の図を提示したところで、「私はこれだけ苦労しました」と言っているだけで、読み手からすれば本来ならば"So What?"「だからどうした?」なのである。そんな自己満足文書は、読み手にとっても書き手にとっても時間の無駄を生み出すだけであり、経済価値のないゴミ以外のなにものでも無い。そんなゴミはビジネス活動からは排除されねばならない。
フィッシュボーンアナリシス、なぜなぜ分析、SWOT、分析ツールは山のほどあるが、分析ツールはあくまで分析のときに使用するものであって、ツールの分析結果の図をそのまま報告書に掲載するのはやってはいけないと考える。最終報告書は基本的にすべて文章で表記されるべきである。逆に、文章で表記できない事は分析が不十分であることを示している。図表とは、すべてが文章で表記された物事のエビデンス、または、その理解を助ける補足資料として使用されるべきである。
報告書や論文は、読み手がまっすぐ読んでまっすぐ理解できるように、理路整然と書かれてあるべきである。たとえ、書き手が様々な分析を駆使して長年の思考錯誤を繰り返して紆余曲折の結果見いだした結果の報告であっても、その苦労を読み手に味わさせてはならない。読者が「なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう」と思わせるようなものでなければならない。したがって、と突っ込まれるだけなのだ。
業界ではそれぞれ色々なしきたりや習慣などがあるだろうが、文書の作成の本質については、すべて同じである。伝えるべきメッセージが一つあり、それを頂点として、ピラミッド状の論理構成があり、一番下の基礎の部分には、誰もが間違いなく事実と認めるエビデンスが支えている構造があるべきである。
様々な分析結果をエビデンスとして掲載するときには、それは、表あるいはグラフの形に成形して掲載すべきだ。フィッシュボーンアナリシスで分析したから、それを魚の骨の絵で表記する事は書き手にとっても、読み手にとっても無駄が多い。料理と同じで、読み手に見せるものは、必要最低限のものを出来る限り整理された形で提供すべきである。数値データであれば、極力視覚化することが効果的である。数値化出来ない場合は、表の形が読み取りやすい。
情報化社会の現代では日々多量の文書が作成されている。多量な文書が作成されているからこそ、少しずつでも無駄や不完全な文書を排除していくことが仕事の効率を高めることに貢献する。そのためには、業界の慣習などにとらわれる事無く、文書の目的を強く意識し、改善する努力をしていかねばならない。

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